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卯の花姫物語 6-⑥ 金沢城落

 金沢城落成の一
 流石英雄の鉄腸も、私的感情によって公私混同するなかれの格言を忘れたでないとした上でも凡てのものには程度と云うものがある。
 事之れまでに至っては義家と雖も人間である。彼が胸間の奥に躍動して止まぬ何ものかがあったことには疑いの余地がなかったのでありましょう。愈々『後三年の役』の終末期に至らん。義家が執った戦法は、糧道さえ立ち切って囲んでおけば此城攻めずして落城すると見切りを付けた。こうした上は味方の一兵と雖も損ずるのを惜しんだのである。稲、麻、竹、葦の如くに囲まれて歳月長きに亙った城中の妻子巻族は全く網の中の魚、檻中の獣に等しい有り様である。今は全く食糧が尽き果てて終わった。飢えにつかれた兵民がひょろひょの惨状は、飢餓道の苦しみも只ならぬ様相となって終わった。
 威勢のいい時威張る奴程、まさかの時には余計に臆病なものである。城の大将・武衡は其例に全く該当した者であった。こうなってはどう仕様もなくなって終わった。あれ程憎い義家に、頭を下げないで助かる可くのない身体になって終わった。今となっては悪口どころの候ではない。
 処が強情者の常として、こんな時にも義家が所へ直々に頭を下げたくない根性がなくならない。恋の争いで負けて、戦いの争いでも負けた奴に直々に首を下げたくない根性であったでしょう。然し乍ら下げたくないと云うた処で、下げて助けて貰わなければ、もげて終う首になったのである。流石の強情者もどう仕様もない。老いに老いた末に、義家が弟に新羅三郎義光と云う人がいた。注(足柄山月下の吹奏で有名になっている人物)。今、副将軍の資格で陣中におるのである。
 其義光が処へ軍使を遣して助命の願いをした。大将の義家が免しを得て貰いたいと云う意味の使いをよこすのである。初めの内は、義光も取り上げないで退けて返していたが、重ね重ね自分を頼ってこられると、人間と云うものは人情にからまれてくるものである。義光兄の処へ行って、彼の様にどんな事になってもよいから命だけを助けてくれと云うのである。あの様な者が命などを取らないで助けて置いたとて此の後、何にをしでかされるものでもあるまいから命だけ助けて、どこかの島へでも流してやったらどうですかと云うて願ってくれたが、義家断乎としていつも退け通しにしておったと云う事である。
2013/01/27 21:29
山形鉄道 おらだの会

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